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2018年12月22日土曜日

“未来の記憶”






先日オペラシティでの田根さんの展示“未来の記憶”を見てきた・・*

思考の仕方についてものすごくものすごくインスパイアされました*


彼のデザインの思考の仕方や構築の仕方はなんて素晴らしいのだろう。

すべてに物語や背景をもとに、より場所というものを記憶にするためのデザインという
姿勢と思考、そのプロセス。


2016年に完成したエストニアの国立博物館は
ほんとにそのうちいってみたい場所になりました。。*

エストニアには旧ソ連の軍用滑走路があって
この博物館のプロジェクトは"メモリーフィールド(記憶の原野)"として、国家の辿ってきた記憶をコンセプトに、この滑走路をのこしたまま下に博物館が入り込んだような設計*

"場所から作られる記憶をどうやって未来に投げかけていくか"を考えて、
構築されていた。
絶対に忘れない場所に大事なものをおいて未来に場所として意味を残す、ということの意味。。

ほんとうにほんとうに素晴らしくていろいろ頭がフル回転。。
根源的で本質的で提示的で。


わたし自身もこんな風に原題や命題、本質に迫るような考え方をしたうえでの
社会や世界に貢献できる活動をしていきたいと、
ほんとに心から思って、そしてとてもインスパイアされた日でした。



2018年12月15日土曜日

役目・運命とからだとこころの繋がり





自分のことで 受け入れなければいけないことが

ひとつ。ありました。


運命とからだとこころは うまく繋がれている*
あることを人生でする(したい)ために
このからだとこころで生まれている

アーユルヴェーダの体質理論では
こうした考え方があって

その人が自分の役目をするには
それをできるこころと体を持って生まれている

こころと体が先行しているのではなくて
むしろ生まれる前の意思が決定したものだとも言われるほどのものです

だから体質を紐解いていくと
その人の役目が見えてくる、というのがアーユルヴェーダの
ダルマ(天職・役目)という考え方なのですが


それをつよく実感させられることがありました



長い間 もう7〜8年もわからなかったのだけれど
つい最近 発覚したことです



大好きなラジオから聞こえてきた

好きなパーソナリティから生まれた素敵な物語に感動して
心をぎゅっと掴まれなければ 調べもしなかった言葉
それをきっかけに発覚したことでした

え もしかしてと思ってから

疑っていた期間は ほんとにとても落ち込んで
ほんとうに悲しい気持ちになって過ごしていたけど

自分で調べれば調べるほど腑に落ちることばかりで

きちんと 調べたら 
やっぱり ほぼほぼ確実、だと
けっこうショックな 一生付き合っていく 
つまり 9割型ほぼ確実に
ある病気であると病院で診断されました

これから ほかのその疾患を得意とする病院にも
かかって 本格的に診察してもらう段階ではありますが


でも この病気だろうと知ったこと自体にも発見があって
自分の人生を これから先どう生きていくべきかの秘密、

アーユルヴェーダによって救われてきた理由も
そこにあり

アーユルヴェーダをやっていたのは
その症状が出なくて ものすごく心地よく生きていられるからだったのだと
わかったのでした *


この病気は基本的には治ることはなくて
症状が出ないように生きていくしかないものです

症状がひどくなった場合は 死ぬこともあるし
この疾患の死亡率は15%ほどとされています
し、症状の再発は90%以上。


日本での有病率はまだ0.7%くらいなので(もっといるかもという説が有力ですが)
そうなんだー・・・と信じられない気持ちも
まだあったり。


でもアーユルヴェーダを実践している中では
発症することやきっかけを避けられていたことがわかって
アーユルヴェーダの知識をからだの底から必要としていたことも
そしてこれからもわたしを支えてくれるものなのだということが
わかりました*


それに
わたしがこの病気になったことも使命のうちだなと
思うのです *


それは わたしは薬に頼って治したくないという強い思いがあって
絶対に薬は飲みません。
きっと処方されるけど きっと飲みません。 


それでも 安定してひどい発症を起こさず
柔らかくこの病気とも付き合っていけると証明することができると思って
確信しています *


ほんとうにアーユルヴェーダや、レイキやコトハというエネルギー医療
(海外の最先端医療ではもう当たり前になりつつある考え方ですが)に
こんなに興味を持って
その方面に触れていたくて
でも説得力を持つには なかなかむずかしい領域で、
と思っていたから

だからこそわたしは自分のからだをつかって
世に還元することができると ほんとうに自然にそう感じられました*


そういう役目だものね そらそうだ、くらいに。。*

人生は不思議だけどこんな風に導かれてるんだなあ。と・・



今 人生がものすごいスピードで動き出している感じ

ものすごい速度ですすんでいる *

そうなるべき自分の姿に急激に引き寄せられている感じ



ひとまず まだ100%の診断ではないので
実感もあまり薄いけれど

人生は ほんとうに おもしろく できている *
と 思う *







2018年12月12日水曜日

脈のスケッチ-1




 −−−


鉱物のなかに 沈んでいる
やっと息をしはじめた 緑色の小さな芽吹き

ここは・・
コップの中の銀河のような
はじける泡粒たちのなかを

そこにぐんぐん沈む 芽を宿した鉱物の軌跡
甘い孤独をたたえた 彗星のよう

このたった一粒の緑の芽は
未来をみつめている
みずみずしく 潤んだ 生まれたての柔らかな

無垢ゆえの勇気と
静かな希望によって輪郭を
 
この銀河のなかで 高速に沈んでゆく命を宿した水晶
通り過ぎる数えきれない数千の星泡たちのなかを滑らかに



12.9  morning

    −−−


自分の脈の風景を瞑想後に
瞑想状態のまま みてみたら ・・・*
この脈は12/9の朝のもの。


自分の脈の風景は見えないものだと思い込んでいたけれど
いつもの
ヴァータ・ピッタ・カパをみる見方とは
たんにちがうだけで

思ったよりも かんたんに 見ることができた *



また脈ノート 綴ります・・・ *




2018年12月11日火曜日

ミラクル


やっぱり昨日の予想通りにきょうミラクルがおきた ****


ほんとうにほんとうに予感した通りの化学変化が起こった ・・****

信じられないけど 起こった・・***
でも それはとても自然に


これは24時間のうちのたった3分のタイミングがずれても起こり得なかった
一瞬、
それを逃したらもうずっとすれ違ってしまう彗星のようなものなのに

きちんと巡りあえた・・*


驚いて 驚いて 
こんなことが ほんとうに自分の直感を信じただけで起きるんだと
とても 腰を抜かしそうなほどのことなのに

でもとても自然なことのように起こったでした


そうなるべきように
朝起きた時からなんの焦りもなく 安心感があって

「今日わたしは自分の時間を守って自分の動きをしたら必ずそうなる」

と予感していた感覚もあった

あさ目が覚めた時の視界に入る明るさや 色んなものが調和して満ちている感覚、
いろんなものが体の中にyesを入れてきている感覚があって

忘れないようにしていたいなと思った*


神さまはこんな風に その人の人生の中で 
とても重要な局面に必要なことは 
かならず 絶対に
外さずに
適切なできごとを引き合わせてくれる *


さ これから人生が動くかもしれない日
届けよう わたしの未来のほうへ

と思って 出かけにその時の空気を写しておいた *

この日の朝の気配と予感の感覚は この先迷うことがあった時には
きっと助けてくれる  *








2018年12月10日月曜日

Sign


サインや前兆をよむこと。

なんとなくスピリチュアルに感じる響きだけど
そういうことを 
いろんなシーンで読み取るようになってきたこの頃です *


なにかうまく行くときは順調に偶然が重なったように進むですが
その時の「感じ」を覚えていると
応用できるようになってくるという、ゆっくり満ちてきて確信に変わりつつある実感


『アルケミスト』に影響を受けた若い頃だけれど
迷った時にはYesとNoの役割をするふたつの石、ウリムとトムミムに
聞くように
いいことが起こる前は蝶々を見かけやすいように

といろいろとあるけれど

目の前に起こることは
そのように必然かのように
神秘的なニュアンスを持ってあらわれることがあるみたい
です


実はきょうという日は
しぬほどまっていたきょうなのに

ピンポイントに しようとしていたことが
本当にその場所だけピンポイントに阻害されてできなかった

(よりによって そこに)
(深夜に)
(なぜ)

という心の声がゆらゆら


近づけないようにもされてしまい


動揺しつつ 驚いて

でも

無理矢理せずに  帰ってきたです



それは
あしたのために
きょう どうしても わたしがやるべき約束事だったし

人生の分かれ道ともいえるほど大事な
何ヶ月もそのことを考えて過ごしてきたほどの
あること

(やっとやってきたきょうなのに..)
と思ったけれど


あしたにしなさいね

と ハッキリいわれたようにしか 思えないのでした

でも
気づきの動揺があった

もしこれが成し遂げられなかったら・・・?
と考えただけで
この約束事の自分にとっての重大さと

絶対にうまくいくと思っていたことによる
存在の軽さが生じていたこと、
そしてこの人生の<選択>とも言える人生の岐路を
なんとなく当たり前に感じ受け取ったかもしれないことが
未来に与える影響について 一瞬で理解することが
できた

のでした


約束事の意味
人生のマップの上でのこの件の重み
自分の心の模様
ぼやけていた輪郭
消えかけていた曖昧な残像、

それらをなぞられて 目が覚めてごめんなさいっと思った今夜だった




無理して遂行しても
絶対うまくいかない気しかしなくて

そして約束が約束で無くなる
約束自体が消える可能性も読み取れて

こうゆう阻害されたとしか思えないことが重なったということを
「構造的に」理解するなら

人生の図面上
やめんしゃい、そして必要なことの再確認の場
という今夜は凹みの時間だったと思うのでした

「構造的に」何かを直観することが
直感と同じくらい 大事・・*



そんなことで
わたしは 寒空の下
どこまでも驚きの余韻の響きにクラクラしながら
どこまでも続く美しいイチョウの足もと眺めながら
大人しく 一瞬うろたえて
そうして帰ってきました 笑


よなよな出かけていって
こんなにさせてくれなかったなんて

明日にする意味 

でも 明日のほうが 化学反応が起きる可能性は高くて

人生は ふしぎだ


呆然とした 先ほどの 未来を含んだよなかの足元 *




2018年12月6日木曜日

アガスティアの葉





アーユルヴェーダの世界に触れて
ジョーティッシュというインド占星術もなかなか面白い世界です


ナクシャトラという月の見方で相性をみたりしますが
これがとっても当たったりします。


このナクシャトラの見方は27種(28種)に分けられ、中国の宿曜占いとほぼ合致していて
ジョーティッシュのナクシャトラの見方を調べるより宿曜で調べたほうがずっと簡単で情報が出回っていて分かりやすいかもしれません*



わたしは ヴィカーシャーというナクシャトラでいう天秤座であり、宿曜でいう底宿の星生まれ
表面はソフトだけど中身は意思強固でからなずやり遂げたい質のタイプです笑*


そしてナクシャトラを色々調べているうちに
ナディ占星術にもいきついてはっとしました


いつかインドで自分のアガスティアの葉をみてみたい、
とおもって生きてきた、そのアガスティアの葉という預言書はナディ占星術のもの



アガスティアの葉は
紀元前3000年頃に実在した預言者、
アガスティアがのこした大量の個人について書かれた預言書のことです


恐ろしいほどの的中率だといわれていて
ジョーティッシュなどいわゆる占星術は足元にも及ばないと言われるもの..


なんと過去(前世やカルマなども含む)の情報に書かれたタントラナディは13万2360人分、
未来について特化しているマントラナディは
158万8320人分のホロスコープが収録されているそうです


アガスティアの葉をみにいくと、
個人情報はまったくなし、
指紋だけを提出してそのひとにむけた預言がかかれた葉(といっても木の板みたいなもの)を
見つけ出して
特定のナディリーダーの家系にうまれ
幼少期から訓練されたリーダーが読んでくれるというもの。

しかも
聖仙達は修行の過程で「アストロ・ナディ」が体内に形成されて「惑星」を手中に収めるという、神秘的な過程があるそうで ..

そこで気づいてしまったかもなのですが


ヴェーダの知恵として体内の細胞レベルの組織のつくりと宇宙のつくりは同じ、といわれています


それはどういうことかというと
宇宙の構造が人間に反映されている、つまり
たとえば細胞のつくりの配置と天体の配置がそっくりそのまま同じだったり..
(トップの画像)

信じられないけれどヴェーダの中ではそんな話も語られていて
そんな知識を解剖図と宇宙が並んだ資料ともにヨーガスートラを2年ほど勉強していました

恐ろしい感じや、そんなばかなという感じもするけれど 
大きいものも小さいものも同じ知性がある、ということなのです

どんな小さなお花の中を覗いても細かく同じ向きで
うぶ毛や雄しべや雌しべが並んでいたりする..
小さくなると粗雑につくられてるとおもいがちですが
まったくそんなことはない
自然には宇宙と同じだけ複雑な知性がある

そういうことなのです


そして思ったのは
指紋と天体って似ているものね..
ということなのでした ....   
どきどき

ナディ占星術気になります,
死ぬまでにアガスティアの葉 出逢ったほうがいいものなのだろな  と思いました 

2018年12月5日水曜日

collage


今朝の瞑想ちゅうの、
感じとったヒントとインスピレーションは

パルス(脈)ノート、 “響き”、コラージュ。

でした・・*



最近出会ったとても無垢であたたかく、でも繊細で、
同時におおらかな魅力と不思議な力をもつ女性が
描いている絵をみせてもらう機会がありました。

彼女は 自然など、とても大きな存在からの「感覚」を絵にしていて
でも絵を“描いている”のではなく
受けとる波動を
“響かせて”いるのだと話していた・・*

それはとても静かで精妙な作業で
自身の想いや感情が入ってしまうと途端にでっぱってしまう、
その想いが入らないよう、自分が受け取る自然を
忠実に丁寧に響かせているそうなのです。

なんて美しく神聖な手作業なのだろう、と感激しました・・・


彼女とは初めて会った時、
「時」というものについて、毎瞬が生まれては失われ、
生まれては失われを繰り返しながら
その中で消えないもの、記憶にのこる無形のものの美しさの価値について
びっくりするほど共感、共鳴してまって

まるで鏡のように感じられた時を過ごしました*


その彼女の”響かせる”という作業について、感覚について
わたしは深く腑に落ちていて、
そして新しい芽を感じずにはいられなかった、


彼女はひとつの絵を完成させるのに1年もかかってしまう、
でも自分は言葉というのはあまり得意でない、うまく表現できない、
だからわたしは絵という表現に出会ってとても幸せになった、
自然と通じている感覚もあり、それは祈りでもあり
自分にとってその時間はとても大切な時と作業である、と話してくれました。


この会話はものすごく素敵なきっかけでした・・*

わたしはむかし、コラージュを作っていた時代があって

音楽家ARAKI Shinさんにお声がけいただいて、
アルバムのアートブックのコラージュ制作を担当させてもらったことがありました。

音楽はもちろん、審美眼とセンスを尊敬しているARAKIさんの5年ぶりのアルバム制作ということで
本当に感激し、打ち合わせを重ねながら丁寧に作り上げてリリースしたのが「Prayer」でした。





この作品群にはとても思い入れがあるものの、
わたし自身のこれまでのある種、憂いを帯びていた時代が集約されたものとも言えるもので
このリリースの頃から本格的にアーユルヴェーダの道へ入っていき、
どっぷりヴェーダの勉強をする日々で、死生観や、感覚がとても変わっていき、
そしてインプットに必死に生きているうちに
「自分の内」にあるものを表現したいという気持ちよりも
「誰かの心」を見えるように解明したいという気持ちが優って
すっかりコラージュという制作からは離れてしまっていました。


ですが
最近ARAKIさんのプロデュースしたリードオルガンの伊藤園子さんのアルバム「Reed Organ Hymns」が発売されたことをきっかけに
ARAKIさんと再会し、
「またコラージュは作らないの?楽しみにしているよ」という言葉をかけてもらったり
CDにサインを求められるシーンや感想をもらう機会に触れたことがあり、


そして絵を描いている彼女から聞かせてもらった
“響かせて制作している”という言葉が ものすごくしっくりきてしまって
わたしの中のなにかが動いた感じがありました・・*


わたしもやっと「生きる感覚」を何回りもして、
ヴェーダの中に見てきた真実や、世界の中の構造やエネルギー的に視えるようになった無形の美しいもの、
そして脈に触れて感じる微細なものたち・・

そんな感覚を、またコラージュというかたちで 
“響かせる”という もっとも しっくりくる方法で
もしかしたらまた再開できるかもしれない、という気になってきました。


それはどんなものを作れるか まだ手も動かしていないので
未知だし 自信もないけれど

今までのそれとはまた違うかたちとして
新しいかたちの
ちいさな芽を育てることができるかもしれない、という気が少ししてきたところです。。*

来年は、なにかとても「ひらいて」いく感じがするなあ、と
思っているです*




ARAKI  Shin 「Prayer」
収録作品
























2018年12月4日火曜日

JFDR


とても好き・・*

JFDR-airbone





アイスランドの音楽ってとても昔からすきです

アートや写真の趣味も寒いところで生まれたものが不思議と多い*

2018年12月1日土曜日

meditation TM





毎日の外せない日課は、お白湯、オイルマッサージ、朝と夕方1日2回の瞑想です*
わたしを作っているもののベスト3です**

中でも瞑想は80%くらいの重要度を占めていて、
今日はその瞑想のお話を書きます*

私が実践しているのは、わたしが勉強していたマハリシ・アーユルヴェーダに系譜のある
TM瞑想という方法*


日本語では超越瞑想とも呼ばれていて、かのビートルズや、デヴィットリンチ、
ケイティ・ペリー、グイネス・パウトロウ、ジムキャリー、ニコール・キッドマン、
日本人だと長谷川潤ちゃんなど。

最近は瞑想もだいぶ浸透して来ていてとても嬉しいなあと思います。


いろいろな瞑想があるけれど、
蓮村誠先生のところで務めていた時、授業の中で瞑想の先生にお聞きしたのは
流行りのマインドフルネスも、ヴィッパーサナーも、仏教の瞑想もTMも
「どの瞑想法も、最終的に目指している精神領域は同じだ」ということです。
なので自分の信じる瞑想法を実践してください、と。
それにひどく感動したのでした・・*


どの瞑想も効果はあると思うですが、特にTM瞑想は素晴らしいな、と
ヴェーダの勉強など、置かれている環境で得た知識から感じているところは、

五感という領域を超えて、自分の本当の内側、源のようなその目指すべき場所に、すとんと気持ちよく簡単に入れるということ

これが難しくて多くの瞑想が修行のような方法になったり、継続が必要だったりとしてしまうポイントです。この最後の五感の一線を超える瞑想だからこそ超越瞑想、と言われているのです**


*修行のような難しさもないし、無になる必要もなく、身を委ねて瞑想状態に入れること。習ってしまえば小学生でも簡単にできる最も簡単なテクニックであること

*睡眠よりも深い休息状態になる

*心身のリラックスにより疲れやストレスの軽減

*それによる日常の心地よさ・対人関係が良くなること

*リラックスした状態が定着してくるので、自分の才能を自然に発揮できるようになる

*五感がかなり冴えてくる

*睡眠の質が上がる

*トラウマが解消されていく(軍隊の精神療法にも使われています)

*慌てずになんとなく良い選択をできるようになる直感がついてくる


いろいろとありますが、
より脳波など、数値化されたデータなんかもあったりして、
とても説得力のあるお話を説明会で聞けます。
男性なんかは説明を聞いて、始められる方が多いです*


わたしは瞑想ではダントツにTMが一番おすすめですが
五感を静まらせることで、クリアになったりリラックス効果は期待できるものなので
瞑想がもっと浸透してくるといいな、と心から思っています*


わたしが日課にしているTM瞑想は
最近だとステラ・マッカートニーやメーガンなども実践していて
あのような心からの純粋な笑顔が出てくるようになるのを、たくさんの患者さん含め習って変化される様子を目の当たりしてきました*

その変化や、飛躍していく姿はわたしがTMを介して心を潤わせていたところです**


ステラに関しては、

この瞑想で五感を超えて触れられる部分=「自分の内側の最も静かで様々なものが生まれる源の領域」

についての展示をパリで
コレクション中にやっていたほど・・・・*

実はわたしもいつかこの目に見えないけれど確実にある、純粋で静かで満ちているこの感覚を表現するような展示をやりたい、表現に落とし込んでみたいという
夢があります・・*

なのでステラがこの展示をした時には、本当に驚きつつ、共感しつつ
ステラの影響力でよりこのTM瞑想の効果や、素晴らしさが広まればいいなと思いました。


TM瞑想は宗教でもなく、ただただ、心身をバランスよく調整してくれる方法として
提案されています*
タイの仏教の僧侶や、ブラジル・インドでは公立の小学校にも導入されているほど・・*

わたしの人生を変えたものはなんだというと
やっぱりこの瞑想に出会ったことで、アーユルヴェーダの知恵も素晴らしいし
もちろん一生魅了されると思っているですし、
でも劇的に変わったのはこの瞑想を実践したことでした。

並行してヴェーダの生活をして、相乗効果でいま自分がここになるなあという感じです*


安定して、毎日をみずみずしい感覚で迎えて
自分のやれることを最大限にクリエイティブに動けるようになったと思っています・・*
出版社でのモード誌のPR担当の話をもらった時も、
瞑想で心の免疫が低かった時は「到底できない」と思って断っていたのが
引き受けられ、編集長や編集部とも仕事を進められたり、会議の場でも物怖じしなくなったりと、本当に変化があり、
社内の友人には「チワワが土佐犬になったね!」と褒められるほどなのでした*笑

対人関係も怖さがなくなったり、たくさんの方と知り合いたくさんの素敵な情報に
触れられるようになって、いろいろ広がっているなあと思うのです。


TM瞑想の公式サイトはこちらですが、
わたしはこのサイトが海外のをそのままリフトして直訳的に作っている点が
本当に本当に残念で勿体無いなあ・・・・と実は思っていますのです。


なんとなく胡散臭い感じもして、洗練されていなくて
いいものなのに本当に本当に勿体無いなあ。と思って・・(本音でごめんなさい)


きっといろいろ事情があるのだと思いますが、
TM瞑想がいいものなだけに、もっとライフスタイルの一部として受け入れられるような
素敵な見え方になればなあ・・*と心で心から思っています*


もしTM瞑想がきになった方がいたら、
わたしが蓮村誠先生のところで一緒に働いていていて瞑想の先生になられた方や、
わたし自身が習って信頼している先生をご紹介しますので
ぜひ話しかけてください****^^
きになる、どんなもの?などフランクに聞いてくださいです***

インスタでも、ツイッターで話しかけてもらっても大丈夫です*


ではでは また明日・・・*

(毎日更新目指して***)











2018年11月30日金曜日

脈からみえる心の風景




2日目です*
わたしはヴァータっぽい“だいたい派” 、ちょっと3日坊主風味なのでがんばって続けます*
(心の体質”だいたい派”のお話はそのうちに*)



アーユルヴェーダの診察は主に脈診で
脈に触れて心身の状態を観察して診察しています。

ヴァータ(風)の質、ピッタ(火)の質、カパ(水)の質、の体の機能のバランスが
本来の体質からどのように乱れているかを確認し
生まれ持ったバランスに戻していく、生活習慣や食生活を調整するのが
アーユルヴェーダという予防医学です*



ドクターは心の状態なんかも脈からよみとって診察しています。

体だけでなく
心も健やかでバランスがとれているからこそ、ほんとうの意味での
健康であるというホリスティックな考え方をしていて

それこそがアーユルヴェーダの魅力的で深淵な部分で
わたしが魅力されているところなのです。

ドクターは直感と直観をもつかって命全体を診察しており 
瞑想が必要だったりもするのです。


わたし自身、
蓮村誠先生のクリニックに勤め、脈診の勉強もしていました。


わたしも簡単な
オージャス(免疫力)の量、ドーシャの乱れ、生活習慣の背景は見ることはできますが、

ドクターではないので、医療的な観点から詳しく見ることはできず、
また周りで一緒に勉強されている方よりはあまり見る力が劣っているなあと 自覚しています。

でもなぜか
脈からそのひとの心の風景のような
オーラのような匂いのような
色彩のような 肌触りのような
とても感覚的に
そのひとの生命が宿している心の印象はみることができていたりします


それは美しい才能が抽象化されたような風景のような
印象のような
言葉では、映像では、あるいは音楽では、特定の表現方法だけでは
表現できない五感を越えたところにあるものをみているようです

あらゆる表現方法の何かひとつでは補完できない感覚的なもの*

わたしはそれがとても気にいっていて、
いろいろなひとの美しさを知りたいと思う、
それを伝えてあげたいとおもっている*

本人も気づいていない、そのひとだけの美しい抽象風景。イメージ。

こんなにも美しいものを宿している人間という存在に、
神秘的で儚くも豊かで、潤ったこの生命の存在に、
一生魅せられる自信をもっています 


それに出逢わせてくれたヴェーダの智慧。
わたしのいのちに死ぬまで含まれる智慧なんだろうなと感じるもの..

それをみることを可能にしたのは“直観”の力だと感じていて
直感ではなく直観。
(その違いの詳しいお話はまたこんど..)

ヴェーダを取り入れた生活は直感がたかまり、直観が発達する

はっきりとわかる、4〜5年の前の自分とは違うなあと。

直感でみえない確かなものを感じとり
直観で構造が はっきりとわかるようになる


感情に溺れてしまって苦しかった時代もあって
わたしは本当に死んでしまいかった時代があったです。
ほんとのはなし です。

でもだからこそ、ヴェーダの知恵により、直感と直観を育てられたことも

体験としてわかっているつもり ・・*

だれでも直感と直観は育てられるものです*
母性は直感力、といいますしね・・*

何も話せない赤ちゃんの求めることがわかる。

それは思考を超えた直感のちからです。
だから女性は直感があるとよく言いますが、子供を育てるからだで生まれている以上
あたりまえの能力だと説かれてもいます*


話は逸れましたが、心の印象風景という世界に

わたしはたいへんに魅了されているのです ・*

本当に見たこともない感覚だけの五感を超えたもの、

脈のなかにひろがっている抽象世界・・*

わたしはいま、すこしやってみたいことがあります。

この感覚の力を広げるために、
おおくの方の脈をみたいなあーという気持ちで生きています 


街で話しかけるのも変だから、

わたしとあった際には脈をみせてくださると嬉しいなあ。なのです*



**


きょうは

心をいつもつかまれる抽象画のアーティストCy Twombly とともに*







2018年11月29日木曜日

Re:start. Re:member



なんだかとっても久しぶりになってしまいましたが
こころの変化や考えること
ずっと勉強をつづけているアーユルヴェーダの知恵、
インスパイアされた美しいもの、こころの向いているもの、
意識で感じとったことなどまた綴りはじめようと
おもいます*

丁寧に 思い、記録する作業。

生きていることというのは 
瞬間が生まれては 消え 生まれては 消えを繰り返し
その軌道の旋律を記憶や感覚、時に現実世界に足跡をのこして すすむもの。

毎瞬を失いながら生きていく
けれど 無形の形でのこるものは消えないとおもっている  

そして

一瞬は永遠だし
永遠は一瞬なのではないだろか  ..


みらいの自分や届いてゆくひとへ
無形の何かをのこす感覚装置としてのよみものを。
軌道を..


人生は不思議なもので
いろいろな偶然ともおもえることで
知らせてくれることがある*

この久しぶりの復活は 
長年のソウルメイトもまたおなじ病気になっていて
いまじぶんに向き合う時期にきているかもねと
互いに納得して
3年後の自分たちに話しかけるための試みとして
約束してみた所以なのです

きままに 形にとらわれず  
いまのわたしや世界をかたどる作業 

いろんなものはうちから外にひろがる
心は環境をつくり 環境は世界をつくっていく

そのひとつの点となれますように*



タイトルのRe:start Re:memberは

オーラブル・アルナルズのRe:menberという曲がつながって*
これを聴いていると、未来を感じたり視ることが多いだいすきな曲。

わたしの再スタートにぴったりな気がして*