2日目です*
わたしはヴァータっぽい“だいたい派” 、ちょっと3日坊主風味なのでがんばって続けます*
(心の体質”だいたい派”のお話はそのうちに*)
アーユルヴェーダの診察は主に脈診で
脈に触れて心身の状態を観察して診察しています。
ヴァータ(風)の質、ピッタ(火)の質、カパ(水)の質、の体の機能のバランスが
本来の体質からどのように乱れているかを確認し
生まれ持ったバランスに戻していく、生活習慣や食生活を調整するのが
アーユルヴェーダという予防医学です*
アーユルヴェーダという予防医学です*
ドクターは心の状態なんかも脈からよみとって診察しています。
体だけでなく
心も健やかでバランスがとれているからこそ、ほんとうの意味での
健康であるというホリスティックな考え方をしていて
健康であるというホリスティックな考え方をしていて
それこそがアーユルヴェーダの魅力的で深淵な部分で
わたしが魅力されているところなのです。
わたしが魅力されているところなのです。
ドクターは直感と直観をもつかって命全体を診察しており
瞑想が必要だったりもするのです。
わたし自身、
蓮村誠先生のクリニックに勤め、脈診の勉強もしていました。
蓮村誠先生のクリニックに勤め、脈診の勉強もしていました。
わたしも簡単な
オージャス(免疫力)の量、ドーシャの乱れ、生活習慣の背景は見ることはできますが、
オージャス(免疫力)の量、ドーシャの乱れ、生活習慣の背景は見ることはできますが、
ドクターではないので、医療的な観点から詳しく見ることはできず、
また周りで一緒に勉強されている方よりはあまり見る力が劣っているなあと 自覚しています。
でもなぜか
脈からそのひとの心の風景のような
オーラのような匂いのような
色彩のような 肌触りのような
とても感覚的に
オーラのような匂いのような
色彩のような 肌触りのような
とても感覚的に
そのひとの生命が宿している心の印象はみることができていたりします*
それは美しい才能が抽象化されたような風景のような
印象のような
言葉では、映像では、あるいは音楽では、特定の表現方法だけでは
表現できない五感を越えたところにあるものをみているようです。
表現できない五感を越えたところにあるものをみているようです。
あらゆる表現方法の何かひとつでは補完できない感覚的なもの*
わたしはそれがとても気にいっていて、
いろいろなひとの美しさを知りたいと思う、
それを伝えてあげたいとおもっている*
本人も気づいていない、そのひとだけの美しい抽象風景。イメージ。
こんなにも美しいものを宿している人間という存在に、
神秘的で儚くも豊かで、潤ったこの生命の存在に、
一生魅せられる自信をもっています *
それに出逢わせてくれたヴェーダの智慧。
わたしのいのちに死ぬまで含まれる智慧なんだろうなと感じるもの..*
それをみることを可能にしたのは“直観”の力だと感じていて
直感ではなく直観。
(その違いの詳しいお話はまたこんど..)
(その違いの詳しいお話はまたこんど..)
ヴェーダを取り入れた生活は直感がたかまり、直観が発達する *
はっきりとわかる、4〜5年の前の自分とは違うなあと。
直感でみえない確かなものを感じとり
直観で構造が はっきりとわかるようになる *
直観で構造が はっきりとわかるようになる *
感情に溺れてしまって苦しかった時代もあって
わたしは本当に死んでしまいかった時代があったです。
ほんとのはなし です。
でもだからこそ、ヴェーダの知恵により、直感と直観を育てられたことも
体験としてわかっているつもり ・・*
わたしは本当に死んでしまいかった時代があったです。
ほんとのはなし です。
でもだからこそ、ヴェーダの知恵により、直感と直観を育てられたことも
体験としてわかっているつもり ・・*
だれでも直感と直観は育てられるものです*
母性は直感力、といいますしね・・*
何も話せない赤ちゃんの求めることがわかる。
それは思考を超えた直感のちからです。
だから女性は直感があるとよく言いますが、子供を育てるからだで生まれている以上
あたりまえの能力だと説かれてもいます*
何も話せない赤ちゃんの求めることがわかる。
それは思考を超えた直感のちからです。
だから女性は直感があるとよく言いますが、子供を育てるからだで生まれている以上
あたりまえの能力だと説かれてもいます*
話は逸れましたが、心の印象風景という世界に
わたしはたいへんに魅了されているのです ・*
本当に見たこともない感覚だけの五感を超えたもの、
脈のなかにひろがっている抽象世界・・*
わたしはいま、すこしやってみたいことがあります。
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