”構造”をみつめる



あたらしくて 苦くて たくさんのことを
みつめる春  です。



たくさんのことが 震えて 
たくさんのことを決意した この春は 一生おぼえているべき春。




"ほんとうに見つめなければいけないこと"

を見失わないこと


なにかが 心を 激しく揺らすような

受け止め難い出来事がおこったとき

なにを 見つめるべきだろうか?






この春をむかえるまでに

とても 苦労した





本当に見つめるべきところは


たとえるなら 
木の枝葉の枯れた場所や 折れた枝なのではなく



枝葉にあらわれたその「根っこにある歪み」「たわみ」
が全てをつくりだしているのではないか ということ


受け止めがたき 心揺さぶる出来事が起きたとき
それを表層の出来事なのではなく構造的に考える必要性を感じて


表層のことだけでは 説明のつかないエネルギーが
作用していると 感じざるおえなかった



もちろん表面的にあらわれている事象を
見つめて向き合うことは別軸で大事なこととして
当たり前の大前提にあって

どれだけ それに良心に従って正しく向き合うかも



大切なことなのだとも 思っている


それでも自分という存在を含んだ出来事について
「構造的に」理解するという視点を持つことが
ほんとうの意味の
正義や調和なのだと思うし


人間が本来持っている 力なのだとも 思った



枝葉の不調は根っこの「たわみ」から
生まれているかもしれない


それはもう忘れてしまった過去の時代のいつの日にか
手放してしまった、諦めてしまった「何か」 があって

それがつくられた、もしかするともう自分も意識していないほど昔の傷や
トラウマだったりするのかもしれないけれど


その傷のような何かをかくまうために建てられた家というものに基づいた現実は

その傷を守るべきもので建てられた家であり 

傷あってこそ存在する虚像の自分自身であって

それが

「受け止めがたいこと」や不協和音的出来事の根っこの 
そもそもの原理なのではないかと思い至った



本質的な歪みの上につくられたものに 

不具合が起きないわけはなく

その不具合直したり 癒したりと向き合っても

一時的な応急処置にしか過ぎなくて

本当はそのパンドラの箱の中の傷を癒さないことには
認識しないことには

虚像の自分を立て続けてしまうし ストレスフルになるし

枝葉の不調や不協和音を招き続けてしまうことに きっとなる 





ほんとうに理解したいものを理解する時には
痛みが伴うのだと 思った

いちばん見たくない自分の未熟な部分と向き合わなければ
出来事と本質的に向き合ったことにはならなくて

きっとこの先も
自分という枠を出たものすべてについて きっとなにも理解できない


何かの 誰かのせいにして 終わる


でも100%何かの 誰かのせいなんて ありえないのだと思う。

人間はぜったいに 響き合って 生きている。


なにかがあったとき
なにが「直接的な」原因でそうなったかという 、
水面で弾けた泡ぶくという表面の出来事だけなのではなく 


泡が泡として生まれたその瞬間からを
見つめないことには

なににおいても 本質的な理解をできないのだと 思う。


自分という存在や置かれている場所を

泡の生まれた場所から その自分を俯瞰する視点がなければ

なにかを
ほんとうに理解したり 愛したり できないのだと 思う。


生きているすべてのもののエネルギーは
見えないところで
絶対に 響きあって すべての結果が在るのだろうということ。


受けとっているものが たとえ受け止めづらいことであっても

それは 自分の過去の内面作用が作った泡ぶくなのだと 思う。


今の自分になにかを知らせるために 返ってきている。と。おもうのです。

だからわたしは わたしの「たわみ」を感じることをしていたいと思う


わたしは その自分の泡ぶくを
泡ぶくを生んだその瞬間の自分の「たわみ」を
見つめることを 怠りたくない と思う


それでなきゃ 自分の未来をつくっていけないのだと
思った


「たわみ」は弓矢の原理と同じで
たわみを重ねるほど
その力は強くなり 放たれた時には
ものすごく強くて ものすごい破壊力を持つものになってしまうのだと
思う

だから
「たわみ」を振り返ることで
「たわみ」が生まれたその瞬間に気づけるようになるのだと思う

それをできるようにならなければ
未来はいつまでも 同じことが繰り返されてしまうのが
ごく自然だと 思うから



だから

何年も前からの自分の 欠落を

思い返す



むかし傷つけた人へ向けた 自分の泡ぶくのエネルギー全てに
共通するものや 質を考えている


痛みは もたらされるべくしてもたらされた、何年もかけて
これはきっとわたしだけではない 構造的に

それをみつめることが 大事な時期なのだとからだが感じている



みつめて 今は 刻んでいる 時間







0 件のコメント:

コメントを投稿